今年のフェイヴァリット・テン

●ネットに文章書くのも久々ですが、とりあえず「今年気に入ったもの」を10個挙げて、行く年を振り返ります。

●ライヴ
ボブ・ディラン(3/26、Zepp Tokyo)――バスドラが効いててクラブ・ミュージックみたいな強いドラムが賛否両論でしたが、私は肯定派。ということは全面支持ってことですね。
・キャミオ(9/19、コットンクラブ)――詳しくは、9/20のミクシィ日記を(見られる方は)見てね、サイコー!
マリーナ・ショウ(7/26、ビルボードライヴ東京)――神様級プレイヤーが五人集まってゆるーい音楽をやっていて、ひたすらとろけるのみでした。

 他に小沢健二ノーナ・リーヴス、コン・ファンク・シャン、フェリックス・キャヴァリエ、デイヴィッド・T・ウォーカー、ついこないだ青森で見た矢野顕子なども素晴らしかった。二本見た夏フェス(サマソニ夏の魔物)とか、秋の「ソウル・パワー・サミット」も楽しかったし、今年はライヴでかなり楽しませていただきました。

●レコード
The Roots『How I Get Over』――最高傑作じゃないかな。ジョン・レジェンドとのコラボレーションも素晴らしく、今年はザ・ルーツの年として私は記憶することにします。
Maylee Todd『Choose Your Own Adventure』――“Summer Sounds”は今年の夏ソングNo.1でした。
Janelle Monae『The ArchAndroid』――“Tightrope”はベスト・ヴィデオ・クリップNo.1だね。小柄なのに頑張り過ぎてるフリーズぎりぎり感に敬意を表して、「R&B界の永井真理子」または「R&B界のWindows ME」と我が家では呼んでおります(笑)。

 あとヒット曲の中で痛快だったのはこれ。何かアレだな、日本で言うと“金太の大冒険”みたいなものか。ぜひ、日本語字幕つきでお楽しみ下さい。

 今年は久々に、新譜だけで10枚選べるくらいいろいろ聴きましたが、とりあえずこの三枚……と思っていたところに聴いたR・ケリーの新作が素晴らしすぎ! クリスマス・ソングも入っているので今聴くのはちょっとアレかも知れないが、まあ“Happy Holidays”って捉え方なら1/3まで大丈夫だから、これ読んだ人は即CD屋へ行こう。
 ただ、どっちかって言うと、これから彼氏彼女が欲しいという人よりは、すでに将来を誓い合った恋人と幸せな時間を過ごすためのアルバムだと思うので、とりあえず後者のヒトは間違いなし、前者のヒトは前作『Untitled』に遡っとくか、CD屋に行く前にとりあえずナンパとかしとこう(笑)。

●映画
『プレシャス』

 結構映画館にも行きましたが、20数年ぶりで『8・1/2』を見て、「『甘い生活』は大丈夫だったから今度こそ寝ないで最後まで」と思ったらやっぱり撃沈したり(ちなみに『はなればなれに』でも撃沈だった(苦笑)。もうすぐ『ソシアリスム』に行くんだけど、いわゆる「ゴダール・タイム」が最小限で済むよう祈っております)、昔フェイヴァリットだった『突然炎のごとく』をこれまた十数年ぶりに見て、昔は頗る魅力的に見えたジャンヌ・モローのヒロインに関して「こんな女ヤだな」とか思っちゃったりして(苦笑)、時の流れを感じたりとか。再映の方に印象的なものが多かった。
 新作ではこの『プレシャス』。吉岡正晴さんの解説が秀逸なのでご参照下さい。これこれ

●ラジオ
『全米トップ40 80's』
 今これが一番の楽しみ。(当たり前だが)かかる曲が全部80's(笑)。これを中波放送の音色で聴けるのはたまらないものがあるね。
 これと『松尾潔のメロウな夜』小林克也さんの『ベストヒットUSA』ラジオ版木曜日の矢口清治さんの番組は、USBラジオで予約録音して欠かさず聴いております。

●本
『ヘミングウェイの流儀』――ヘミングウェイ・アイテムを判りやすく網羅していて便利。近年出た中では『フィリップ・マーロウのダンディズム』と並ぶ「服飾に関する常備本」のひとつですね。
『ミンガス/ミンガス 2つの伝説』――各種エピソードがいちいち常人離れしていて最高。

 小説では『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』というのがなかなか和めました。
 本に関しては、「ソーシャル・ライブラリー」で最近の読書を挙げておりますので、「それ読むのならこれも読みなよ」といったおすすめ情報などあればぜひ。

●ワーストも選ぶなら管政権だな。グズグズだ。特に前幹事長の「政治主導なんて言うんじゃなかった」とかいう発言は、温厚な私もかなりムカついたね。枝野だっけ、あいつは金輪際信用しない。
 首相に関して言うと、市民運動出身で、薬害エイズ問題を解決して名を上げたんだから、素直にそういう部分を売りにして行けばいいのに、当人はそれをコンプレックスに感じているのか「オレだって保守王道の政策もやれちゃうんだよ」ってツラをしたがって失敗、ってケースが続いているように思う。
 でもって「脱小沢」とか言ったって、アマチュアの集まりにプロ入れて勝っといて、選挙終わったらポイ捨てでごまかそうったってそりゃ通らないよ。
 そこは誰もあんたに求めてないからさ。ぜひ自民党政権ではできないTPP参加とかキメちゃってくれよ。まあ無理だろうがね。

●もうひとつワーストと言うか、実家の青森市にある「こけし庵」というお蕎麦屋さんがお気に入りで、ここ数年年越し蕎麦はそこのを購入していたんですが、店主が体調を崩されたとのことで残念ながら閉店。なので今年は、スーパーとかでとりあえず購入した蕎麦で年越しする予定です。
 都内のいい蕎麦屋さんの年越し蕎麦は大抵、予約が必要なんですが、予約なしにパッと買えるとこでいいのがあったらご一報を。

●来年から再来年にかけ、資格試験を二つ受ける予定なので、今年以上にネットなどに接する機会は減ることが確実で、友人知人各位に置かれましては不義理が続くことをお許しいただきたいのですが、まあ人生にはそういう時期もあるということで、すべて突破すると再来年八月には帰還いたします。その時にはどうか温かく迎えてやって下さい。では良いお年を。

つながった表現世界

 小沢健二の『ひふみよ』ツアーに行って来た(5/25、中野サンプラザ)。素晴らしいライヴだったと思う。
 ここ五年くらいの間の小沢健二の文筆活動と、ポップ・スターとしての小沢健二の活動は、あまりつながっていなかったように私は捉えていたが、今回のライヴで初めてつながった形になった。そしてその接合した結果が素晴らしかった。

 いわゆる懐メロライヴみたいなことになったら一番つまらないなあ、と思っていた。私の友達の中には、小沢健二をトリビュートするイヴェントをやっている人たちもいて、そういうイヴェントに行くと、いい齢をしてベレー帽にボーダーのTシャツを着た皆さんが集まる中、延々と小沢健二の曲がかかり続けるわけだが、正直、前向きなものはあまり感じられなかった。お友達がやっていることなので、あまり悪く言うのは心苦しいけれど、別に彼らが後ろ向きという訳ではなくて、小沢がポップスらしいポップスをずっとやらなかったので、ファンの人はその時点で止まっているのも致し方ない。ということなのだろう。まあ、ノーナ・リーヴスとかクレイジーケンバンドとか、日本にも素晴らしいポップ・ミュージックは小沢不在の間にもいくつかあったので、ポップ・ミュージックを楽しみたければそっちを聴いた方がいいんじゃないか、とは思ったけれども。
 で、『うさぎ!』などのお話の多くは、表面的に見れば資本主義や消費社会への懐疑が描かれており、一方かつての小沢健二は、カローラ2とかプラダの靴が欲しいのなんて歌っていて、消費社会を満喫した上での表現と受け取るのがそれほど不自然ではないように思われるものだったから、そこを整合化する必要はなくはないだろう、と思っていた。単純化すると、「小沢さん、お金使うの楽しんでたのに、資本主義批判するのはおかしくない?」ってことだ。もちろん、ポップスなので矛盾していても別にいいのだが、そうは言っても、矛盾は正せるなら正した方がいい、と考えるのは、それほど間違ったことではないだろう。
 と言うか、「小沢健二の時代」を過ごして、今は40代になってしまった女の子たちとか、いっぱいいるわけだから。ちゃんと落とし前つけないとあの子たちかわいそうだぜ。って思わないではいられない。あの頃ポジティヴ・シンキングなんて流行って、まあミス・ミナコ・サイトウだと、今のとは違って可愛げがあると言うか見るからにインチキとか言うか(笑)、私はそんなに嫌いじゃなかったけれども。翻って現在は、昔で言うポジティヴ・シンキング的な言説に乗せられて前向きになってみたらやっぱダメだっていうんで、うつ病の病院が大流行りしていて、うつ病の美人医師が、可愛げのない今の「無駄に前向き志向」の親玉に「これ以上患者増やすのはやめてくれ」って言って、それがまたベストセラーになっているわけだから。
 かつてそういう時代に、前向きなヴァイブレーションを与えるヒット曲をたくさん作って、人々にそういうヴァイブを与えて、ある日忽然と消えたんだから。戻るに当たっては、かつてCDやライヴにお金払った人たちの多くを占める、あの「元オリーブ少女」みたいな人たちにも判るように伝えないと、倫理的にまずいんじゃないの? ということは素直に思った次第。

 で、実際どうだったか。
 今回のライヴでは、至るところにコラムの朗読が挟まれた。それは時に、ライヴとしてのグルーヴ感を中断するものでもあったけれども、あのライヴを見た人で、日本語が判る人なら、グルーヴが中断されるから邪魔、とはほとんど誰も思わなかっただろう。
 我々が持っている価値観をゼロベースで見直す観点でのコラムのあとに、それに関連する形で歌われるかつてのヒット曲は、懐メロではなくて新しい視点で響いた。殊に、「資本主義好きだったでしょう?」というツッコミを誘発する象徴である“カローラ2に乗って”の新提示は素晴らしかった。「そう言えば『財布ないのに気づいてそのままドライヴ』してたんだから、別にそんなにお金使うのが好きだったわけでもないよなあ」なんて。
 整合化がなされた上、表現としてより芳醇な膨らみを湛えることになったのだから。落とし前はちゃんとつけた、と言っていいように私は思った。

 新曲がいくつか歌われて、そのうちポップスのフォーマットの曲に関して言うと、かつてのヒット曲のような2-5-1でどんどん解決して行く進行のものではなく、あまりドミナントしないで淡々と続いて行く楽曲だった。旧曲とのバランスで言うと適切だったように思われるけれども、新曲単体で新しい価値観を強く発信しているようには思わなかったので(アルバムの中の一曲、という感じ)もし新しいレコーディング作品が出るなら、新曲でそこのところをきっちり提示してもらえると理想的だと思う。まあ、今の小沢健二が、ポップ・ミュージックの最前線に立つべきだとは思わないし、昔みたいにポップ・ミュージックってのは世の中で機能していない時代でもあるので、そこまでやらなくても、あのライヴで表現した世界観を適切に形にした録音作品が出ればそれだけで御の字だろう。そういう作品は出るのかな?

[付記]
 ライヴを見てからこのブログを書くまでに時間が空いたけれども、その理由はアフリカ関連の書籍をもう少し読んでから書こうと思ったら、図書館で予約待ちになってしまったから。
 小沢健二南アフリカに四ヶ月ほど滞在し、その体験で思ったことをオフィシャル・サイトに書いている。その部分は、今回のライヴで表現されたものを理解する上でも重要だと思われたので、最低限の知識を把握した上で何か書こうと思ったのである。
 読まないままひとまず見切り発車でこの文を書いてみるが(読んだらまた触れます)、書籍名を挙げて置くので、お詳しい方は、私の文に補完情報を追加していただけると幸いだ。

●『アフリカ――動きだす9億人市場』ヴィジャイ・マハジャン
 これは私がアフリカについて興味を持つきっかけになった本。アフリカの飢餓や貧困についての言説はたくさん目にするけれども、希望を語るものはそれほどないように思う。
●『民主主義がアフリカ経済を殺す』ポール・コリアー
 今読書中。希望について読んだあとは、やはりそうでない視点の言説も見て相互補完するべきだと思ったので読んでいるところ。
●『アフリカを食い荒らす中国』セルジュ・ミッシェル他
 これが6/13現在、私の住む町の図書館の予約待ち43番目なのでなかなか読めそうにない。この辺りまで読んでから、現在のアフリカについて思うところを改めて書こうと思う。

 音楽家としての小沢健二のインタヴューを読みたいとはそんなに思わないが(ここまで書いて来たように、ライヴを見て十分に判ったので)小沢がアフリカについて考えていることや実際に現地で見て来たことについてのインタヴューはぜひ読みたいので、そこのテーマ限定で、どこかで取材してもらえないだろうか。『ひふみよ』サイトでもかなり語られているけれども、ここはもっと掘り下げて欲しい部分だ。
 私のように無学な者でも、いつも新聞を見ていればBOPとかいう言葉は自然に覚えたりして、それが今の世界を理解する上で大事なことなのは判るけれども、実際に現地に行くのはさすがに難しい。そして、小沢健二の影響がなければ、アフリカには新聞で読む以上の興味をそれほど持たなかったように思う。
 これだけでも、彼の表現世界は人の心を動かしている、という実例だと思うので付記させていただいた。ぜひまた活発に、公的な表現活動をなさって欲しいと思う。

私の好きな文化

●ブログを立ち上げて、「さあ、がっちりしたコンテンツを書くぞ」と行き込んでいたのだが、そういうものが書けないため、初ブログから間が空いてしまった。
 まずは習慣化が大事、と思ったので、今日はつれづれに書いてみる。読み応えがなくて申し訳ないがお付き合いのほどひとつ。

●ということで、一ヶ月くらいメモ帖にペンディングしていた話題から。
 二十代の頃に愛読していた自動車文化の雑誌『NAVI』が休刊になるというので、久々に読んでみた。
 私事になるが、この頃(90年代)バンドをやっていて、いくつかの曲は『NAVI』を読みながら書いたものだ。
 例えば、ローヴァー・ミニ・タータンという限定車が出ると、「これに乗るのはどんなライフ・スタイルのひとたちなんだろう」というところから歌詞のプロットを立ち上げて、「このクルマに男が乗るのはキマらないな、よし、彼女が初めて買ったクルマに同乗する話にしよう」とか言ってストーリーを考えているうちにイントロのリフレインが浮かんで、といった具合。
 そんな具合にことが運ぶのは、今も昔も自家用車を所有したことのない私のような者にとっても、自動車文化がとても身近なものだったから。
 しかし時代は変わり、特に東京で暮らす分には、クルマはそれほど必要ではなくなり、それどころかネットの普及で今や、雑誌自体が身近ではなくなってしまった。そんなわけでいつの間にか『NAVI』も久しく読んでいなかった。

 休刊号ということで、スズキ元編集長を始め、私が読んでいた頃の執筆者&元編集陣も揃って登場し、それはそれで面白かったが、本来の自動車に関する記事が充実していた。特に清水草一氏による道路行政についての記事は必見。
 これについての文章は、購入前から「読んだら書こう」と決めていて、仮タイトルは「私の好きだった文化はなくなって行く」という悲観的なものだったが、いざ読み終えたら全然そんなことはなくて嬉しくなった。自動車文化にはまだまだ未来がある。

 これに乗って、スズキさんが編集長の『ENGINE』も久々に読んだが、これは『NAVI』ほど高揚しなかった。それなりに面白いのだが、何百万円もする腕時計の話などは、私には敷居が高い。スズキさんが編集長だった頃の『NAVI』のように、クルマを通じて多種多様なひとびとが集まって来るような熱気があるかと言うと、ちょっと違う気がした。
 とは言いつつ、やはりクルマ文化は素晴らしいものだ、と再確認した者としては『ENGINE』くらいは毎月買うことにしたいと思わないではいられない。

●クルマ文化が以前ほどオーヴァーグラウンドではなくなって。それではどんな文化がオーヴァーグラウンドかと言えばオタクの文化だが、これが私はてんでダメで。大人になってからアニメーションや怪獣映画とか見たりするというのは私には未知の領域。
 これは単に私がその文化を判る回路がない古臭い奴だ、というだけで、これだけ大きくなるということは、価値のある文化なのだと思う。それに、例えば、私の好きなブラック・ミュージックやヒップホップといった文化も(相当大きくなったけれども、日本では)まだまだオーヴァーグラウンドではないので、マイナー同士で潰し合いをするのは不毛だから悪口は書かない。ただ、自分の文化ではないというだけ。
 まあ今の職場がお台場なので、コミケットをお台場でやられると通勤バスが混んでかなわんので、できれば晴海に戻ってくれ、とは思うけど。

●そのオタクとは似て非なるもので「ウインプスター」というのがあるそうで。まずはリンク先をお読みいただきたい。

 これは私の恋人がツイッターで紹介(リツイートっていうの?)していたもので、「これ読ませたらその手の男性はどう反応するのかなー。自分は違うって思うのかな、やはり」とそのリツイート先には書かれていたので、そのあと電話で「これは、オレがそういう奴だと思っているということか?」と聞くとそれは違う、という。
 まあその、ツイッターのことに電話で対応している時点で、「メール届きましたか?」って電話で確認している十年くらい前の中高年のようなものなので(苦笑)、ウインプスター失格だけども。

 ウインプスターの皆さんは「女子は強者で男子は弱者だ」的なことをしきりに言うそうで、私などは、男たるものそんなみっともないことを言っておってはいかんではないか、と思う。歴史の年号を覚えるのが苦手で大学受験では政治経済を選択したような者だけれども、それでも平塚らいてうとか覚えているよ。仮に「女子が強者」だとすれば、それは過去にそういうひとたちが戦って勝ち取ったものなんで、甘えたことを言ってはいかん。
 ただまあ、「彼女が自分よりも強そうな男に絡まれていたら助けない」という項目は、やや当てはまるかも知れない。元々、そういう絡む奴が来るようなとこに連れて行ったりしないので、そもそもシチュエーションが存在しないから。事故は水際で防ぐのが本来の防ぎ方だ。助けなきゃいけないという設定がおかしいのだ(それでも緊急事態が起こるというんならそれは別で、助けるに決まっているのだが)。

 と、やはり私も「自分はそれとは違う」ということを書き進めて行ってしまうことにハマってしまった(苦笑)。

●他にも最近読んだ本のことや、一昨日見たボブ・ディランの素晴らしいライヴのことなども書こうと思ったが今日はここまで。とりあえず、昨今の私の読書履歴をリンクしてみるので、「それを読むならこれも読みなよ」といったアドヴァイスをいただけるなら嬉しい限りである。

別にガンジャ持ってた訳じゃないんだろ

 オリンピックで世の中は盛り上がっているけれども、冬のスポーツは個人的にあまり興味がない。野球や相撲と違って、直接対決がないスポーツって、見どころがよく判らなくて。
 ただ、恋人は結構見ていて、ジョニ子っていうの? 超ナルな男子フィギュアスケート選手のこととかを教えてくれたのでユーチューブで見てみたが、あれは確かに面白い。今様玉三郎だねありゃ。

<訂正>で、ちょっと勘違いをしていて、ジョニー・ウィアー選手を韓国の人と書いてしまっていたのだけど、読者の方からご指摘をいただくまでもなく、アメリカの選手でした。いやはや申し訳ない。キム・ヨナ選手の話とかしながらジョニ子の話も聞いていたので、ごっちゃになったんだと思う。関係各位の方、申し訳ありませんでした。


 で、ここからが本題。
 何か、我が国のドレッドの選手が悪いことをした、と大騒ぎだったので、てっきりガンジャでも持ち込んだのかと思ったら、単にシャツを裾から出していただけというので、その批判にはあまり賛同できないですね。
 スノーボードなんか大して歴史もない競技だし(※)、「日本スノーボード協会」のようなものがあるとして、そこにオトナはいないだろう。そこのトップだって、サーファーとかとたいして変わらないライフ・スタイルでしょう、きっと。そんな具合で、オトナがいない業界なんだから、子供に注意なんかできないさ。
 それが嫌なら、日本からはスノーボードをオリンピックに出さなきゃいい。
 しかし、かと言って、元気のあるストリート・カルチャー出身の競技に対応できないってのは、こりゃ国の活力が弱ってるってことだと思う。鷹揚に遊ばせて、活力を取り込んで行かないと、どんどん先細って行くだけだ。

(※)私が上京したのが20年くらい前で、その頃『気まぐれコンセプト』に「スキーウェアでスノボができるのは今年までですよ」と呼び込みをする貸しボード屋のオヤジ、というネタが載っていたのを何となく覚えているので、歴史としちゃそれくらいでしょう。

 こういう時に必ず出て来る漫画家の方がいらっしゃって、あの人はプロ野球漫画出身なので、昔はよく漫画を拝読したけども、そんなピューリタンみたいなことばかり言うのはどんなもんなのか、って思う。
 最近の私が寝物語に読むのは、往年のプロ野球選手の自伝だったりするのだが、浜崎真二さんでも水原茂さんでも、よく読むとかなりやんちゃなことばかりしていて、それがまた魅力的じゃないか。野球で儲けたんだから、野球の先輩のことも一応踏まえて置いて下さいよ。
 我が国は放っとくと、どんどん年寄りばかりになって、熱が冷えて行く一方なんだ。若い奴の粗相に目を瞑ってでも、熱を活かして行く度量を、真の大人なら持たなきゃ。

ぼくは図書館とラジオが好き

 今からブログを本格始動します。
 と言っても、書くことはミクシィでやっていた頃とたぶん変わらないのだが、こちらで初めてお会いする方もおられるだろうから、一回目は自己紹介も兼ね、ふだんあまりやらない身辺雑記にしてみようと思う。
 とりあえず朝は六時に起きて仕事に向かう。朝食は長らく食べない派だったけれども、今は、百円ショップで売っている青汁の素を牛乳に溶かしたもの(レンジで二分半くらい温める)とダノンビオをいただくことにしている。禁煙をした頃に、新陳代謝が悪くなって、それの対策として導入した結果定着したものだ。
 渋谷まで電車で行ったあと、バス二本を乗り継いで職場のあるお台場まで。一本目の渋谷−大門(浜松町)間のバスには、慶應幼稚舎の子供たちが多数乗って来るのだが、やはり育ちがいいのか、極端に乱れたり粗相をするのを見たことがなくて、大したものだと思う。私が子供の頃、バスなんか乗ったら三回に一度は気持ち悪くなったものだが。
 渋谷から座れる場合も多いが、少なくとも広尾で子供たちが大量下車したタイミングで確実に座れるので、そこで日経と日経流通新聞を読む。その後20分くらいあるので結構まともに読める。ちなみに、私がお気に入りの日経の連載は、月曜の「私の課長時代」と、水曜の「200年企業」と、市況欄に時々載る「〜のイロハ」というビギナーズ・ガイドのコーナー。何かまあ、小ネタばかり一生懸命見てるわけで、長い時間かけている割には、日経からするといい読者ではない気がする。『ワールド・ビジネス・サテライト』でも、一番好きなのは「トレたま」だったりするし。
 浜松町からお台場までの二本目のバスは、夏なんかは人間観察として面白い。お台場は、働きに来ている人と遊びで来ている人のアティチュードがくっきり分かれるから。いつだったか、家族連れでおじいちゃんに席を譲らないのを見て孫が「ねえ、どうして譲らないのかな?」とか言ってやがったけれども、「お言葉ですがお坊ちゃん、我々は仕事で来てるんでごぜえやす、ついさっき譲らないまま降りたその人だって、その前まで私といっしょに12時間勤務をしたあとですぜ」と滔々と語ってやろうかと思ったが、語るにはやや疲れ過ぎていて実行には至らなかった。そんな帰り道。

 で、仕事を終えて地元に戻ると19時。ここで寄るのは図書館。帰り道で読んだ本を返却し、新しい本を受け取る。
 つい最近まで知らなかったのだが、図書館というのは。置いてある本だけではなく、管轄区内の他の図書館からいろいろお取り寄せができるんですね。なので、例えば、日曜の日経の書評欄で見た本を読もうと思ったら、大概一ヶ月くらい待てば読める。そんなことも知らなかったのか、とバカにされても仕方がないが、子供の頃は母親が小学校教諭で、職員室に出入りの本屋が持って来る「これから出る本」という小冊子を見て、欲しい本を紙に書いて渡すと本屋さんが持って来てくれる、というシステムだったことの流れで。本というのは、書店に注文して買うか、高い本の場合は古本屋で出て来るのをしばらく待つ、というスタイルだったため、図書館という発想がほとんどなかった。このせいでずいぶん読み逃した本があると思うのだが、まあこれから取り返そうと思う。

 家に着くと20時で、FMを聴きながら夕食。
 今一番好きなラジオ番組は「AOR」。これは以前は東京では放送していなくて、実家の青森ではネットしていたため、帰省時の愉しみだったのだが、去年の四月から東京FMでもネットされた。何がいいかって言うとJ−Popがあまりかからないところ……だったのだが、東京ネット&時間増に伴い、結構J−Popの比率が増えた。
 いや、もちろん日本のポップ・ミュージックにも素晴らしいものはたくさんあって大好きなのだが、私はこの番組、「洋楽聴こう!」って待ち構えて聴いていたので、そこでJ−Pop、それも好みでないやつがかかるとかなりがっかりする。
 しかし、それでもかなり健闘している方で、なるべくUSBラジオで予約録音して、良かった曲は手帳につけたり、ユーチューブで探して繰り返し聴いたりしている。
 ただ、この番組の選曲は、本当なら、クルマで聴くのが一番いい。クルマ通勤をされてる方には本当におすすめだ。

 「AOR」を聴きながらの夕食で一番多いのはマグロのやまかけ。これは何がいいかって言うと、日本酒に合うのはもちろん、安いマグロでも何とかなるから。

 そんな具合で夜も更ける。恋人との電話を終え、お酒を飲みながらもう一度読書タイムなのだが、ここではもう難しい本を読むのは無理。私の場合は日本プロ野球と戦後政治史のファンなので、野球選手か政治家の自叙伝を読む、というのが一番和む。これがどうして和むのかはまたいずれ。

 さて、一応自己紹介をさせていただいたということで、次回からはミクシィ時代と同様、自分のことを書くのはやめて、何かもうちょっと書き甲斐のあることを追求して行くので、もしよかったらひとつよろしく。