流動体についてについて

 小沢健二さんの新曲“流動体について”は素晴らしい曲だと思うんですが、今、ニュース検索をすると一番最初に挙がって来る記事がひどい。
 妻に聞くとこういうのは「炎上商法」といって、わざとひどいことを書いて盛り上げるんだとか。なるほど確かに、こういう記事って紙の記事みたいに「いいこと言ってる、本買うよ」って形じゃなくて、「何だひどいな、よし精査して叩き潰そう」って流れで精査するために何回もクリックすると、その都度著者が得するわけだよね。それに付き合うのは馬鹿げてる。なんでリンクは貼らない。
 それにしても、その方、バカと書いてますからね。じゃあその曲気に入ってるオレもバカか、ってなって、あんまりいい気はしない。まあ、腹タツノリですよね(苦笑)。
 まあ、独身だったら人知れず藁人形打っときゃいいんで特に問題ないですけど、私もねえ、腹タツノリとか言って平気でオヤジギャグ言える齢になって、家庭もあるわけですよ。ウチは子供いないですけど、カミさんからするとね。夫が夜中にインタネ見て腹立ててるのって、ものすごくイヤじゃないですか。
 なんでまあ、家庭の雰囲気壊すのはほどほどに願いたいですな。お手柔らかに。


 まあ、この方は元々小沢健二の音楽が嫌い、または特段好きじゃないんでしょうね。なのに仕事として何か書くとしたら全部ディスにならざるを得ない。
 というのは、過去の小沢は凄かったのに今は「バカ」だ、という論拠としてタモリの小沢礼賛を引用するのはいいんですが、いくらどう読んでもそこだけ。ご本人があの時代に“さよならなんて言えないよ”を聴いて感動した形跡がない。
 ないので、元々嫌いなものを「劣化した」と書くために何か権威を持ち出して、「あの凄い人が『凄い』といってたんだから昔は凄かったらしいのに、今はダメだ」って話になってますよね。そこはまあ、書くんなら「元々ダメだった、今も当然ダメだ、昔も今もバカだ」ってちゃんと書かないと。何かに頼ったらダメですよ。
 で、まあ、この方に小沢的なものを理解する回路がないのは仕方ない。そういうひとも世の中にはたくさんいるだろう。
 判んなきゃ無理して何か言おうとしないで、黙ってればいいわけですけど、この方は趣味じゃなくて仕事として書かれているので、黙ってたら工賃もらえないわけですよね。そういう意味ではこちらの方が、生活のためにやってることにいろいろ言っちゃって申し訳ないくらいかも。イヤなら読まなきゃいいだけですからね。
 ただやっぱり、検索で一番目に出ちゃうと、読みたくないのに読まされちゃうわけですよ。一種のテロだ。参っちゃうよね。


 あそこで名前が挙がってたウォーレン・ジヴォンの曲、初めて聴きましたが、要するに「彼は昔の彼じゃない、時代は変わった」くらいのことをおっしゃりたいんですね。 
 そりゃあ変わるさ。変わったのはポップ・ミュージック。産業として著しく縮小してしまったのはご案内の通りで。今アナログ盤が売れてるって言うけど、別に『氷の世界』や『リフレクションズ』みたいに売れてるわけじゃないでしょ。達郎も言ってたけど書画骨董ですよ。
 去年出た曲で誰でも知ってる歌って、恋ダンスとピコ太郎くらいでしょ。その前は恋するフォーチュンクッキーか。あとあります?
 今回オリコン2位だっていうんで、久しぶりにオリコンのサイト見て枚数確認して驚いた。その枚数で2位なんだ、って。
 そういう意味では、もうポップ・ミュージックって「ない」と言ってもいいくらいのものだと私は感じています。


 今は変わったものの話をしたけど、変わらないのは。ラジオをつけると、十年一日で青春の葛藤とか歌ってるような歌がやっぱりほとんどで。だから日本語のポップスがかかる比率が高そうな番組は大体聴かない。もうちょっと違うもんが聴きたいです。
 「くだらない社会学者が好みそうなフレーズ」って言うけど、ちょっとクリシェから離れるとひどい言われようなんだな。近年よく聞く「同調圧力」ってのはこれのことか、って思っちゃう。
 ここ菊地成孔さんは「タイニーストレンジセンス」って言ってるけど、確かにそこがいいとこでね。
 菊池さんが挙げてる、サビ頭がドレミファソラシド、ってあそこも面白かったけど(メロディの差し込み方がやや強引で、そのため高音の苦しさがやや顕わなところが、また妙味出てますよね)、あとは調子っ外れぎりぎりのギター・ソロですね。あれ、もっと本格的にディスコードしたり、逆にそれこそグラスパー以降な感じの丁寧で洒落た和音奏でるんでもなく、飽くまで「ちょっとヘン」なとこが私は好きですね。
 もうポップ・ミュージックって「ない」ってさっき書きまして、これは淋しくて残念なことではあるけど、肯定的に捉えるなら、より自由にいろんな歌が歌えることにつながる可能性もあるわけだから、そういう芽は摘まないでいただきたいなと思います。


 まあねえ、人に歴史ありで、小説『うさぎ』とインスト・アルバム『毎日の環境学』が出た頃(もう11年前!)はタイニーストレンジセンスどころの話じゃなくて、もうオザケン、歌ものやるの無理なのかな。って感じてましたからね。それ考えると、新曲聴けるだけでありがたいですよ。


 余談ですけど、「くだらない社会学者が好みそうなフレーズ」って、いつかの日経の、デヴィッド・ボウイを「ウルトラマンのマネ」とか言っちゃったやつを思い出しますね。
 私、日経読むのが大好きなので(笑)、あの社説でネット炎上してるのを見た時はツラかったです。ホント「リベラルのことは嫌いでも〜」といっしょでさ、「日本経済新聞のことは嫌いでも、日本経済ウォッチングは嫌いにならないでください」って強く思いましたよ。


 さて。批判的な考察では↓のものもあって、読み応えはこっちの方がある。何より、この方はこの方なりに小沢の作品をちゃんと聴き込んでいる。今回の私の文、こっちをテキストに書いた方が良かったかもね。
http://i-love-existence.hatenablog.com/entry/2017/02/25/161738


 最初の、ネット検索1位の方もこの方も、タモリの例のやつ引用してる。みんなタモリが好きなんだなあ。まあ確かにあのタモリの解釈は素敵だし、あの曲は私も素晴らしいと思います。懐かしい海までドライヴする時には、石坂浩二の海についての朗読と、“美しさ”と改題されたあの曲の静かなヴァージョンを続けた選曲で作ったCD−Rを聴きながらクルマを走らせるのが好きです。すごくいいから試してみてね。
 ただ、もうそれやっちゃってる訳ですから。二回やらなくていいじゃん。
 で、私はもうタモリよりたけし、の世代なんで、オザケンでも『LIFE』以降より『犬は吠えるがキャラバンは進む』が一番好きです。普遍化するために丁寧な推敲を施した『LIFE』以降の素晴らしさもあるけど、その時感じたことをフレッシュ・ジュースのように直送する『犬』の素気なさの魅力もあり。今回のはそっちに近いかも。
 説明が足りない、とこの方は言う。ご説ごもっともだし、『犬』の方が好きってファンは少数派だろうけど。少数派なのを承知で言うなら、説明してなくて言葉の連なりが唐突、それこそが正に今回の曲の良さだ思うんだよね。
 ♪だけど意思は言葉を変え〜以降が最悪だっていうけど、これは飽くまでも歌詞なのに、言葉だけで分析してるからそうなるんじゃないかな。音楽的な分析がないんだよなあ。あの1'34"のとこで転調して、そこに重ねてるコーラスがいい効果になっていて、それと言葉が十分マリアージュしてる、と私は感じました。音楽音楽、聴いて総合判断しましょうよ。


 最初「腹タツノリ」で始まっちゃったんで論考が雑ですけど(まあ私の文なんていつもそんなもんですがね)、何か単に好きで音楽聴いているだけなのに、我がことのように感情をかき乱されるくらいやっぱりあの音楽が好きだった、ということに改めて気づくいい機会になりました。ご清聴を感謝します。