私の心の中のチャックD

 1996年、26の夏。『さんぴんCAMP』には、頭脳警察のTシャツを着て行った。まあ、勘違いも甚だしいチョイスのような気もするし、ヒップホップは好きだけど別にB-Boyじゃない者として、その距離感を表現していたとも言える。
 ただ、勘違いがあったとすれば、ヒップホップはレヴェル・ミュージックだと思っていたこと。
 この認識は、パブリック・エネミーのセカンドから一気にヒップホップにのめり込んだ私のようひとたちにとっては当然のものだったけれど、しかしヒップホップを知れば知るほど「パブリック・エネミー以外はそうでもないんだよね」と気づいて行くことにもなる。まあ、「別にレヴェル・ミュージックじゃないヒップホップ」も、ずっと好きでしたが。
 ただ、スチャダラのボーズも「心の中にはいつもチャックDがいる」と言っているように、そういう側面が原点にあることも確か。
 シールズ“To Be”は、「私の心の中のチャックD」を久々に揺り動かしてくれた。これはシールズの活動を総括した内容なんだろうけど、そこに留まらず、日本の戦後史や、ヒップホップや黒人文化の歴史が絶妙に凝縮されてリリックの中で溶け合っている。
 一番で主に、先の戦争が我が国に遺したものについて歌い、二番で現在について歌ったあとの「Martion Luther KingのようなDreamを描く/俺たちは死者の夢の続きを生きる」ってラインに至るところで、日本の状況と、アメリカの公民権運動から去年の夏のケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』(とその背景にある、警官による黒人少年の射殺事件)まで、民衆が蜂起する時のイメージが線でつながるんだよね。この喚起力はすごい。
 毎年3/11にはGAGLE×Ovall“うぶごえ”を聴き直すのが私の習慣になって久しいが、同様にこれからは毎年8/15には“To Be”を聴き直すことになるだろう。